恋
恋をした。
初めて人をこんなに好きになった。
上手くはいかなかった。
今でもとてもつらく、夜になると泣きたくなる。
でも自分がした選択には後悔はしてない。
きっと時が巻き戻ったってわたしは結局、同じ選択をして同じように傷ついてまた同じように悲しみに暮れるんだ。
でもそれで良いと思うようにする。そうしないと歩いていけないから。
きっとそういうふうにできているんだ。
自信のないわたしは自分からはあまり行動しない。理由は簡単、自分から行動してよかった事が少ないからだ。経験則というやつ。
行動を起こすというのはストレスを伴う。
失敗したり間違えたりしたら恥をかく。
そこに相手がいたら自分の心情が悪くなってしまうかもしれない。だからよくよく考えてから行動する。
そのストレスを抱えているのに結果も良くないのなら行動する意味がわからなくなった。
自分が行動しなくても世界は回る。
ならわざわざ自分からストレスに飛び込んでいく必要性はないだろう。
そして、恐らく何も考えないで行動した時は結果が良くなる。きっとこの世界はそういうふうにできているから、わたしは行動する事をやめた。
けれどそれは何事にも致命的で。
恋愛なんて特に自分から行動する事が求められるということに気づいて絶望した。
相性が悪すぎる。
行動しないと上手くいかないのに、行動したら上手くいかない。
果たしてこれは自分の思い込みなのか?
けれど経験というのはやっかいで、自分を変えるということはわたしにとってはとても苦しいことだ。
恋愛をすると自分について深く考えさせられる事が多い。
自分でも知らなかった顔がどんどん出てくる。
こんなに重い人間だなんて知らなかった。
こんなに引きずるとは思ってなかった。
こんなに好きになるなんて。
今更こんな自分を知ったって処理しきれない。
どんどん深みにハマっていく。こんなことなら恋なんて知らないままの方が良かった。ずっと憧れは憧れのままで、他人事でいた方が幸せでいられた。
人を好きになる幸せなんて知らなければ、離れていく悲しさも知らないままでいれたのに。
このつらさはいつまで続くんだろうか。
もう長いことつらい。普通はだんだんと良くなると聞いたのに全然だ。むしろ悪化している気がする。
いつかわたしは幸せになれるのだろうか。
本質
最近気が付いたことだが、私はどうやら自分の理想に恋をしているようだ。
惚れっぽいことこの上ない私はテレビを見て芸能人のことを好きになるのが多々ある事のだが、好きになってその人のことを知りたいと思う一方で、もしこうだったら、もしああだったらこの人はどうするのかという妄想を繰り広げることも、それもまた好きなのだ。
きっとこの人はこう行動するだろう、きっとこの時はこう言う言葉をくれるだろう、と。
そしてその妄想の中で動く相手に私は恋をする。
だからこそ、好きな相手が自分の想像していた行動と相反する行動をしたとき、私の中の好きと言う気持ちがすぼんでいく。
そうして次第に興味を失っていくのだ。
きっと過激な人は、この後アンチに進化するのだろう。
テレビの中の人は、所詮テレビの中だけの人だ。
画面を一つ挟むだけで相手の本質がまるっと分からなくなる。
限られた部分しか見ることが出来なくなるからだ。
そもそも自分以外は他人であり、実際に対峙していても分からない部分があるというのにどうしてテレビの中の相手を理解することができよう。
そんなことは到底無理なのだ。
そしてそれを理解してもなお、私は画面の中の興味を持った相手を好きになり、分からないことをいいことに自分の理想を押し付け恋をするのだろう。
でもそれで楽しいからいいのだ。
私は本人に会ってみたいという気持ちを押し込んで、このこね回した理由で、だからあえて会わないようにしていると、今日も自分を納得させるのだろう。