本質
最近気が付いたことだが、私はどうやら自分の理想に恋をしているようだ。
惚れっぽいことこの上ない私はテレビを見て芸能人のことを好きになるのが多々ある事のだが、好きになってその人のことを知りたいと思う一方で、もしこうだったら、もしああだったらこの人はどうするのかという妄想を繰り広げることも、それもまた好きなのだ。
きっとこの人はこう行動するだろう、きっとこの時はこう言う言葉をくれるだろう、と。
そしてその妄想の中で動く相手に私は恋をする。
だからこそ、好きな相手が自分の想像していた行動と相反する行動をしたとき、私の中の好きと言う気持ちがすぼんでいく。
そうして次第に興味を失っていくのだ。
きっと過激な人は、この後アンチに進化するのだろう。
テレビの中の人は、所詮テレビの中だけの人だ。
画面を一つ挟むだけで相手の本質がまるっと分からなくなる。
限られた部分しか見ることが出来なくなるからだ。
そもそも自分以外は他人であり、実際に対峙していても分からない部分があるというのにどうしてテレビの中の相手を理解することができよう。
そんなことは到底無理なのだ。
そしてそれを理解してもなお、私は画面の中の興味を持った相手を好きになり、分からないことをいいことに自分の理想を押し付け恋をするのだろう。
でもそれで楽しいからいいのだ。
私は本人に会ってみたいという気持ちを押し込んで、このこね回した理由で、だからあえて会わないようにしていると、今日も自分を納得させるのだろう。